HISTORY

1920〜1940

大工から工務店へ

大正10年に豊中組を創業

大正10年[1921年]に現豊中市役所の場所にて、大工であった初代の森田 六三郎(写真左)が工務店として豊中組を創業いたしました。大正から昭和の繁栄を迎える時代に創業し、地域の住まいや建造物の建築など、当時から地域貢献を一番に考えておりました。

昭和8年[1933年]

当時の感謝状

小学校工事における感謝状を受ける

克明第一尋常小学校校舎並び講堂増改築(現在の克明小学校)/克明第二尋常小学校増築(現在の桜塚小学校)を行い、豊能郡豊中町長より感謝状を六三郎が受けました。

昭和9年[1934年]

当時の感謝状

大阪土木建築業組合より表彰

六三郎が、現在の大阪建設業協会(当時:大阪土木建築業組合)の組合長大林義雄(大林組2代目社長)より、組合の発展に貢献したと表彰をされました。

昭和10年[1935年]

当時の感謝状

大工業として表彰される

六三郎が大工業としての日頃の取り組みを評価され、大阪府大工業組合職合会の会長鴻池忠三郎(鴻池組2代目社長)より表彰状を受けました。

豊中市誕生

豊中町・麻田村・桜井谷村・熊野田村が合併・市制制定し、現在の豊中市が誕生しました。

1940〜1960

豊中・岡町の発展に貢献

昭和31年に事業継承

昭和31年[1956年]に二代目の森田年宝が事業継承し、不動産から一貫して住宅建築する事業を開始しました。当時は田畑だった阪急電鉄岡町駅周辺を宅地造成して住宅街にした歴史を持っています。

昭和20年[1945年]

当時から受け継ぐ社旗(消防団旗)

岡町森田組へ社名変更

岡町という街を開発し地域に貢献するという想いを込めて、岡町森田組に社名変更をいたしました。また、駅前開発や駅前周辺の道路整備並びに大手企業の社宅建築など、中大規模建築を本格的に請け負うようになったのもこの頃です。

昭和21年[1946年]

昭和の岡町商店街風景

岡町商店街で金物屋を始める

この頃は、岡町の周辺が栄え出し、岡町商店街の原型ができてきた頃です。原田神社へ年宝が寄付を行い、寄付記念碑が飾られるなど地域の発展に当社も貢献している時期でした。その頃に、年宝は岡町商店街で金物屋を始めるなど新しい事業にも精を出しておりました。

昭和25年[1950年]

昭和24年の建前時写真

豊島小学校講堂建設

この頃も豊中市の小学校など教育施設の改修や構内建造物の建築を多く請け負っておりました。当社が施工したもの中で、今も残っている場所もあり、会社としても歴史を感じる自慢の施工事例です。

昭和25年竣工写真

職人たちの集合写真

昭和26年[1951年]

市営団地竣工当時の風景

桜井谷市営住宅の建築

当時の大工集や建築をする会社が寄り合い、桜井谷エリアの市営住宅(定かではありませんが、30棟以上の規模)が進む中、その一部を岡町森田組が担当しました。

1960〜1980

建設会社としての発展へ

昭和46年 創業50周年

豊中組に始まり、岡町森田組として地域の開発に貢献し、昭和46年[1971年]に創業から50周年を迎えました。三代目もこの頃から勤め始め、3世代にわたる建設企業としての地盤がしっかりとしたものになりました。

昭和35年[1960年]

当時の地鎮祭の様子

豊中市内の地域開発

この頃は、地域の木造戸建て住宅や、木造アパートを立て続けに建築していました。地域に中小規模の土地を開発し、都度住宅やアパートを建てることで、駅前や市内の賑わいを支えていたのです。

当時の建築風景

当時建てていた日本建築

昭和47年[1972年]

内閣総理大臣佐藤栄作より授かった藍綬褒章証書

二代目年宝が藍綬褒章を授与

年宝は、若い頃より地域の建設のみならず消防団の取り組みも続けており、その両方の功績が認められ、沖縄返還やノーベル平和賞受賞で有名な当時の内閣総理大臣佐藤栄作より藍綬褒章を授与されました。モリジュウの歴史の中でも最も栄えある出来事でした。

昭和49年[1974年]

三代目へ事業継承・法人化

昭和49年[1974年]に三代目の森田正治が事業継承し、岡町森田組を改め森田住研株式会社[資本金1,000万円]として法人化いたしました。当時の公共工事や大型建築を請け負うにあたり、より信頼性の高い企業になるための決断でした。

昭和51年[1976年]

現事務所のある自社ビル建設

現在の豊中市役所隣にある現事務所となる自社ビルを建設しました。豊中市の広告塔のような場所に事務所を構え、地域の住まいの家守りや、新たな建設事業に邁進していくきっかけともなった出来事です。

昭和52年[1977年]

年宝が瑞宝章授与・従六位を授かる

建設現場の台風被害軽減作業中事故により負った怪我が原因で亡くなった前社長である年宝が、日本国天皇より死後に瑞宝章を授与され、さらには日本に20ある位のうちの一つである従六位を同日に叙位されました。これまでの年宝の行いが認められ、一族一同、職人仲間一同が涙したと聞いています。

瑞宝章の証書

叙位の旨を記して授与される証書「位記」

1980〜2000

不動産事業と急成長期

80年代は中大規模建設へ

この頃は三代目である正治が、マンションやアパートなどの鉄骨造・RC造の中大規模建設を得意とし、時代も相まって次々と建造物を建てていました。高度経済成長やバブル期を象徴する一時代でした。

平成7年[1995年]

阪神大震災が発生

この年に未曾有の災害として心に残る阪神大震災が発生し、被害を受けた豊中市内や周辺地域の地域住宅の復興に私たちが貢献した歴史が残っています。家を造るだけでなく、住み続けられるものにするという今の家づくりは、この震災の経験があってこそのものです。

2000〜現在

新たな挑戦と災害との戦い

平成17年
事業継承・社名変更

平成17年[2005年]に、四代目の森田良辰が事業継承し、想いを新たに新しいチャレンジをする建設会社をイメージし、社名をモリジュウ株式会社[資本金1,000万円]に変更いたしました。

不動産事業を分社化

事業規模の拡大に伴い、不動産事業を分社化し和佳有限会社を創業・設立いたしました。不動産事業の展開により、土地分譲のみならず、地域の賃貸マンションや空き家などの不動産管理も主要な事業となってきた時代です。

平成15年[2003年]

当時の公共工事施工事例

現代表である良辰が入社

大阪で公共事業関係の仕事に携わっていた現代表が入社し、公共事業への着手を再開しました。大阪府の入札工事や地元である豊中市内の入札工事などにも取り組むようになります。教育施設や公民館などの市民向けの施設の安全性や耐久性を高める改修を、丁寧な施工で納めてきました。

平成24年[2012年]

LIXIL社の高断熱・高耐震SW工法

高気密高断熱住宅へのチャレンジ

四代目が会社に新しい変革をと長年考えてきた、住宅性能を高めた高性能住宅(高気密高断熱住宅)を展開する足がけとして、LIXIL社のSW工法(スーパーウォール工法)を採用した物件を施工しました。当時まだ断熱性や気密性などがあまり注目されていない中、未来を見据えた取り組みにチャレンジし、今の高性能住宅展開の基礎ができていったのです。

台風21号による豊中周辺地域住宅の被害

まだ記憶に新しい台風21号による豊中周辺地域住宅の被害の応急処置・復興工事を累計300件以上対応いたしました。台風での被害が多くはない大阪北部を襲った大規模な台風により受けた被害は甚大で、多くの地域住民の方々がどこに相談して良いかわからないという状況を変えるために、社長自らが地域を周り、補修をご案内しておりました。

令和1年[2020年]

オリジナル注文住宅ブランド
「ミドリノ」発表

モリジュウの主軸とも言える注文住宅のオリジナルブランド「ミドリノ」を公式にリリースしました。高気密高断熱住宅でありながら、デザインも追求した木の家、建築士と建てる家づくりで庭や地域の自然・繋がりを楽しめるような家を提供したいと、社長のこだわりをとことん詰め込んだブランドになっています。